子供達の郷土を守る<br> - 母が作る天然ストール -

子供達の郷土を守る
- 母が作る天然ストール -

宮城県気仙沼市で、藍染のアパレル·雑貨の製造販売を手がけるインディゴ気仙沼。

藍染の原料である、世界的にも珍しい染料植物パステルも気仙沼の自社農場で生産し、衣料を藍色に染める際に使用する媒染もすべて、天然のもの使っている。インディゴ気仙沼のように、天然の原材料だけで染料を作り、手染めを行っている会社は実は、日本でも数少ない。

そうしたインディゴ気仙沼のモノづくりのこだわりの原点は何なのか。

半径1mにいる女性たちの力になりたい  

藤村さんは20代後半に東京で会社を経営していたが、結婚を機に事業譲渡、2013年に気仙沼へ移住した。その後、第一子をご出産。子育て中は家族との時間の確保を優先するために、会社経営はしないと決めていたにもかかわらず、なぜ藤村さんはインディゴ気仙沼の代表となることを決めたのか。その理由は20代後半に起業した時のきっかけと共通する、藤村さんならではの価値観にあった。

藤村さんは気仙沼で子育てする中で、廃業が決まっていた藍染工房で働いていた女性たちと出会った。彼女たちと話したり、気仙沼で生活する中で気づいたのは、フルタイムで働くことができない女性たちの存在だった。当時の気仙沼は、東日本大震災による津波被害から地域全体で立ち直ろうとしている真っただ中で、子育て中の女性が働ける職場が少なく、加えて沿岸部では待機児童の問題も抱えていた。藍染工房がなくなることは、こうした課題に拍車をかけることに繋がる。

「さやかさん、愛染工房の経営を引き受けてもらえない?」

ある時、藤村さんが会社経営の経験があることを知った工房の女性から、経営を引き受けてもらえないかと打診を受けることになる。

 

子育て期間はのんびりしたいと考えていた藤村さんが、経営を引き受けるに至った理由。

それは、震災を経験したにも関わらずイキイキと仕事をしている女性たちに大きな尊敬を覚えたからだ。ひとりひとりの女性が無理なく、自分らしく働き、生きる選択肢を広げていく場を地域に作れればというものだった。

こうした動機で藤村さんが行動するのは、今回が初めてではなかった。

実は20代で起業した際も、当時働いていた会社の事情で、閉塞感を抱えながら日々働いていた同僚の女性たちを元気にしたい、という想いで事業を考えた。

いずれも共通しているのは、自分の身近にいる女性の役に立ちたい、という藤村さんならではの価値観。藤村さんの行動の原動力は、「半径1mにいる女性たちの力になりたい」という価値観だった。

藤村さんが半径1mにいる女性のために決断し、行動できるのは幼少期にアメリカで育った体験がベースになっている。

藤村さんが生まれ、幼少期を過ごしたデトロイトは当時は治安が悪く、銃撃事件も起きるような地域だった。アフリカン・アメリカンをはじめ自分たちアジアン・アメリカンなど有色人種への差別もあり、マジョリティーとマイノリティのヒエラルキーがある中で様々な体験をした。

そんな中でも通っていた現地校はいろいろな人種の友だちや先生がいた。その先生たちは広い視点で生徒たちに接し、藤村さんは多様な人が住む世界で互いの違いを認識し、その上で協力して生きていくことを学んだ。そうした幼少期の経験を通じて、誰か近くにいる人が何かしらの理由で生きづらいと感じているなら、自分には何ができるだろうと考える癖がついていった。


母として胸を張れる選択をしたい

インディゴ気仙沼の染料は天然の原材料だけで作られている。100%天然ものにこだわっている理由は、働く女性たちや商品を身に着けてくれるお客様への想いがあり、そのなかでも子どもたちに対する気持ちが強い。

藍はそのままでは水に溶けないため、媒染と呼ばれるものを使い水に溶かす。その時、化学薬品の媒染を用いると簡便に安定した色が出せる。ただ、化学薬品の媒染を用いた藍染を自分たちの子供に安心して着せることができるだろうか?そんな疑問を藤村さんは抱いた。

「せっかく母たちの手で生み出すのであれば、天然藍染の色の美しさや効能を、100%手渡しできる商品をお届けしていきたい。子どもたちに安心して着せることができる、安心・安全な商品を作っていきたい」

だからこそコストは高くなってしまうが、100%天然藍染にこだわることにした。

「いろいろ迷ったとしても、最終的には母として胸を張れる選択をしたい」

藤村さんのそうした想いは、この一言に込められている気がした。

- 母たちが畑から手渡しできる距離感で、東北の自然の恵みを提供すること -

藤村さんが大切にしている想いである。

商品の仕上がりなどお客様から直接見える部分だけではなく、目利きして厳選してきた原材料や確かな染色技術など、基礎となる裏方の部分においても、胸を張って「作ったのはわたしたちです」と言える商品を作り続ける。そんな想いが込められているように感じる。

「子どもたちにとって、ここはふるさと。母たちが子どもの郷土に対し、責任を持って関わっていく」

人口減少に伴う地方の課題は多い。気仙沼も例外なく、多くの課題を抱えながら、官民双方の協力で”住みやすい街づくり”を一歩ずつ進めている。藤村さんは気仙沼をふるさととする子どもたちの未来の暮らしやすさを考え、インディゴ気仙沼を、小さくても、地方で多様な働き方ができ、関わる人がのびのびと、自分らしく生きていけるような会社にしようとしている。

 藤村さんの行動のきっかけは、半径1mにいる女性の力になりたい、という価値観。だが、その行動の先に見ているのは、仕組みによってできるだけ多くの人の生きづらさを取り除き、生きやすさをプラスするということ。

幼少期をアメリカで過ごし、自由に自分の価値観で生きる人々をみてきた藤村さんならではの視点なのだと思う。一人ひとりが必要以上に我慢せず、自分らしく日々を過ごすために、わたしができることはなんだろう。きっと今日も、藤村さんはそんなことを考えつつ、気仙沼の工房で染色仕事をしていることだろう。


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