工業地帯として発展してきた北九州市は、関門海峡に面した九州最北端の都市である。その北九州で1913年に創業されたごとう醤油の4代目社長である五嶋隆二さんは、自社のことだけでなく、地元である北九州市の発展にも尽力している。
今でこそ”地元のために”動き回っている五嶋さんだが、かつては地元が嫌いな時期もあったという。
この変化の背景には、人との出会いと五嶋さんならではの価値観があった。それが、今のごとう醤油のモノづくりを形作っている。
偶然の出会いが人生のターニングポイント
五嶋さんは、醸造について学ぶことができる大学へ進学し、卒業後は福島にある大手味噌メーカーで3年間修行した後、2003年にごとう醤油へ入社した。
「最初は、いつも買ってくれているお客様に対して配達をする仕事が中心でした。醤油屋としてのPRをしているわけでもなくて。だから、もっとうちの商品を知ってほしいと思いました」
そう考えた五嶋さんは、自社の店舗を作ったり、地元の他の醤油屋さんがやっていないことに取り組んだ。
「九州は添加物が入っている旨口醤油が中心ですが、子育て世代を狙い、あえて無添加の醤油を作りました。ただ、思ったようには売れませんでしたね。」その後、2008年に自社のHPを作ったことを機に、知名度を高めるために東京の直売会へ出展した。
「東京で無添加の商品がたくさん売れるようになって東京に工場を作るんだ、という気持ちで臨んだのですが、最初の3日間は、ほとんど売れなかったんです。あごだしを売っていた隣のお店が1日50万くらい売れているのに、うちは5千円とかで」
ただ、この直売会が五嶋さんにとっての大きなターニングポイントになる。
直売会の期間中、偶然知り合った同業の方と食事に行くことになったのだ。
地元と共に進む
「食事をしている時に、その方から『あなたの武器は何があるのか?地元をもっと見なさい』と言われたんです。それを言われた時に、”地元でやってる価値ってなんだろう”ということを考えさせられました。そして食事をした翌日である直売会の最終日、地元である北九州ならではの調味料であることを伝えるようにしたら、それまでよりも売れるようになったんです」
この体験をきっかけに、五嶋さんの意識に明確な変化が起きた。
「子供の頃の賑やかな地元が好きでしたが、就職で帰ってきた当時は昔の賑やかさはなく、大好きだった地元を嫌いになりかけてた自分がいたんです。ただ、直売会をきっかけに、ごとう醤油があるのは地元の人が支えてくれたお陰だということに気づきました。だから、地元の人たちと一緒に何かをしたいし、地元を盛り上げたいと思うようになりました」
地元に帰った五嶋さんは、早速動き出す。北九州市役所に地産地消課があることを突き止め、担当者へ会いに行き想いを伝えたところ、地域の漁師さんや農家さんを紹介してもらうことができた。
「当時は紹介された蟹漁師さんの所に毎週のように通い、蟹の勉強をさせてもらいながら、地元ならではの蟹酢の開発を行ってました。試作品を持って行くたびに、地元の人たちと膝を突き合わせて議論するのが本当に楽しかったんです」この原体験が、ごとう醤油の今のモノづくりの根幹を作り上げた。
「うちのモノづくりのこだわりは、地元の農産物を主原料にした調味料作りです。私の代になって作った新商品は全て、地元の素材を活かすために無添加で作っています。」
ごとう醤油のこと、だけではなく、地元の人たちのこと、も考え一緒にモノづくりを行う。これが、ごとう醤油の価値観なのだ。
子供たちと未来を創りたい
”地元をもっと見なさい”という一言がきっかけで、モノづくりの方向性を変えた五嶋さん。その行動力の根底にあるのは、気になったらとことん知りたくなるという価値観だ。
「よく考えたら、地元のことを何も知らないなと思ったんです。北九州は工業地帯で有名でしたが、”実はこんな時にキャベツ畑があるんだ”というような発見があるんです」
子供の頃、博多がどんな所なのか気になり、一人で電車で1時間かけて博多を見に行ったという五嶋さん。気になったら知りたくなる性分は幼少期から変わらない。そんな五嶋さんだからこそ、今のごとう醤油のモノづくりの根幹ができたのだと思う。- 五嶋さんが今、目指していること -
「昔の活気がある地元を取り戻したい。地元って、車がなくても行ける所だから、子供も気軽に行くことができる場所。だからこそ、子供が毎日行きたいと思える場所にしたい。そして、子供たちが将来『地元で仕事をしたい』『この街をよくしていきたい』と思ってもらえると嬉しいですね」
一つ一つの言葉を噛み締めるように話す五嶋さん。その根底にあるのは「地元に育ててもらったという恩返しと地元を育てたいと言う使命感」だと言う。
北九州の素材が詰まったごとう醤油の調味料を通じて五嶋さんの地元への想いも感じてほしい。