日本トップクラスのスイカの生産量を誇る熊本県熊本市。その熊本市で、陶器の企画・制作・販売を行っている玄窯。
代表の齊藤博之さんは、大病を患った経験をきっかけに、人と関わる上で大切にしたいことに気づき、その想いを込めたモノをつくり続けている。
その齊藤さんの想いは、物質的に豊かになった今を生きる上で、大切にすべきことだと感じる。
一人ひとりとの出会いを大切にする
熊本市で生まれ育った齊藤さんは、20代前半の時に東京へ行くことを決めた。
「自分が生まれた場所しか知らないで、生きていくのが嫌だったんだと思います。知らない世界を知りたかったんです」
20代を東京で過ごした後、テレビで見た陶芸の特集番組をきっかけに、陶芸に興味をもった。そして、その道を極める為に熊本へ戻ったが、ある大きな出来事が起きる。「熊本に戻った翌年、生存率が30%程度の大病を患いました。結果的には完治したのですが、この経験によって死というものを意識するようになりました」
この出来事は、齊藤さんの人との関わり方を変えた。
「それまでは人との関係性は、いつでも手に入るものだと思ってました。関係性が途切れたとしても、また新しい別の関係性が生まれるものだと。だけど、自分の死を意識したことで、人との関係性もいつかは終わるということを実感したんです」
そしてそれは、齊藤さんの作るモノのコンセプトや作風に反映されることになる。
愛着を生み出す
齊藤さんのモノづくりのコンセプトは、”愛着のタネをまく”。
「人との関わりは、いつまでも続くと思っていたけど、そうではない。だから、人との出会いや繋がりを大切にしてほしいという想いをコンセプトにしました」
人やモノを大切にする心を”愛着”と表現しているのだ。
「モノに愛着を持って大切に使ってくれることが、人のことを大切にする心を育むことに繋がる。そして、モノへの愛着を生み出すのは人。だから自分たちは、その愛着のタネを作ってるんです」
齊藤さんは、モノづくりを通じて”愛着のタネ”をまき、愛着を広げていくことを目指している。
「モノは人を思い出したり、感じたりするモノだと思うんです。例えば、亡くなったおじいちゃんの湯呑みを見ながら、おじいちゃんのことを思い出したりできる」
そして、こうしたコンセプトを表現するために作風として取り入れている要素がある。
終わりがあるから今を尊く思える
齊藤さんが、作品性として大切にしているのは、”自然を感じる風合い”や”風化”である。
「例えば花が咲いて枯れていく中で、どこが美しいと思うか。タネから芽がでる時や花が満開の時を美しいと思う人もいる。僕は、枯れていく時の方が美しいと思う。そして、枯れるということを強く意識することで、芽が出る時や満開の時をより尊く思うことができる。そんな自然の尊さを器で表現したい」
終わりがあることを意識することで、それ以前の時間を大切にできるということ。それを自然をイメージした作風で表現しているのだ。
強く、そしてユニークな想いを持つ齊藤さんだが、人に自分の想いを押し付けるようなことはしない。
「自分が主張しすぎると、何かを否定している気がして嫌なんですよね。だけど、伝えたいから、モノのなかに表現はする。なので、それを感じてもらえればそれで良いんです」
齊藤さんが作るモノは、スタイリッシュな印象を持つ一方で、素材感やデザインなどは、とても自然的。
その2つが高度に両立しているのは、使う人の実用性と自分が伝えたい想いやこだわりを、どう表現するかを考え抜いた結果なのだと思う。