ねぶた祭りで有名な青森県青森市の伝統工芸品「津軽びいどろ」の商標を持つ北洋硝子。
ハンドメイドガラスの技術で、青森の四季を表現する多色多彩なテーブルウェアを作っている。
今でこそ日本各地、そして世界中から注目を浴びている「津軽びいどろ」だが、十数年前までは苦しい時期が続いていた。
今の隆盛を築きあげた立役者の一人である常務取締役の中川洋之さんの妥協しない姿勢が、多くの人の感動や共感を生み出すことにつながったのだ。
妥協せずにやり続ける
中川さんは27歳の時に、北洋硝子へ入社した。
「特にガラスがやりたいとかではなかったんですが、仕事を探している時に、ちょうど募集していたんですよね」
しかし、入社して1週間で辞めたいと思ったという。
「千度以上ある溶けたガラスを掻き出す仕事があるんですが、信じられないくらい熱い。もう続けられないかもと思いました。けど、サウナが好きなので、仕事終わりにサウナに行ったら、熱く感じなくなってたんです。その時に、1週間でこれだけ鍛えられる仕事なんだと思って、続けることにしました」どんな事でも、出来なかったことが出来るようになることが嬉しいと言う中川さん。その価値観は、その後の仕事の中でも大いに発揮された。
「ずっとガラスの発色をする調合という仕事をしていました。ガラスを溶かして固めてみないと、どんな色になるのか分かりません。また気温差があったりするので、毎回、同じ色を発色し続けることや、指定された通りに発色することは、とても難しい。だけど、少しでも色が違っていたら、自分から進んでやり直してました」
15年かけて、ほぼズレのない発色ができるようになったという。その根底には、妥協せずにやりきるという姿勢があった。「小さい頃から父親からに『負けることがあっても良いけど、とにかく全力を出してやれ』と言われ続けてました」
そんな中川さんがいたからこそ、北洋硝子の「津軽びいどろ」は多色多彩を実現できたのかもしれない。
純粋な想いが生み出した成果
2014年に「津軽びいどろ」のコンセプトが決められた。
「青森県の風景を色で表現しようということになりました。例えば春は、桜が有名ですが、県内は地域によって桜の色味が異なります。秋の紅葉も、県内の山によって色が違うんです。これを色で表現することに決めました」
元々50色程度だったが、今では100色以上のカラーバリエーションがある。
「日本や世界でも、うちだけにしか出せない色がある」だからこそ、自社から営業をしなくても、日本や世界の超大手企業からの依頼が絶えない。
「例えば、同じグラスでも12色から選べるんです。12色あれば、好きな色を選ぶことができますよね。ご飯の時に、マイグラスで水を飲んでもらえたら嬉しい。そうすればグラスに愛着が生まれ、大切に使ってもらえるかなと」
お客さんに愛着を持って使ってほしいという純粋な想いは「津軽びいどろ」を通じて、着実に広がっている。
重ねた努力が人の心を動かす
ここ数年、若い世代の女性の職人さんが増えているという。
「元々、女性の職人はいませんでした。ただ数年前に突然『お店でうちの商品を見て、自分も一緒に作りたくなったから雇って欲しい』と訪ねてきた女性がいました。ただ一度お断りをしたんです。そしたらその1週間後にまた訪ねてきて『私、会社辞めてきました。雇ってもらえないと困ります』と言われたんです」
今、その女性は北洋硝子でとても優秀な職人さんになっている。「”ただの仕事”としてはではなく『津軽びいどろを作りたい』と言って入社してくれる人が増えているのが、本当に嬉しいです」
中川さんたちの努力の上で、鮮やかな彩りを放つ「津軽びいどろ」。
そして、その彩りは着実に若い世代の心をつかみ、自らの手で作りたいという”未来への希望”を生み出している。