清らかに生きる<br> - 自然的な石鹸 -

清らかに生きる
- 自然的な石鹸 -

日本有数の漁港がある宮城県の女川(おながわ)町で、地域の素材を使った石鹸の製造と販売を行っているKURIYA。九州出身で社会人生活は東京で過ごした代表の厨さん。縁もゆかりもなかった宮城県で、厨さんが三陸石鹸工房KURIYAを設立するに至った背景は、厨さんの生き様や価値観が強く反映されたものだった。

 

”恩送り”の気持ちから生まれた地域素材を使った石鹸

厨さんが高校生の時に、阪神淡路大震災が起きた。高校生だったこともあり、何もできなかった自分への無力感を強く記憶していた。その後、大学生の時にインターンシップ先で、阪神淡路大震災の被災者だった社長と出会う。

「社長には、すごく可愛がってもらった。なので恩返ししたいと思ったけれど、相手が偉大すぎて、当時の自分が相手にできることなんてなかったんです。だから、社長に受けた恩は、社長に返すのではなく、別の人へ返すことで社長への恩返しにしようと思ったんですよね。恩返しではなく恩送りをしようと思ったんです」

 

そうした気持ちを抱きながら、東京で社会人生活を送っていた時、東日本大震災が起きた。

「今、何かをしないと、後で絶対に後悔すると思ったんですよね」

物資を持って被災地に行った厨さんは、現地の実情を目の当たりにした。その後、東京に戻った厨さんは、被災地の生活と東京の生活のあまりの違いに、悶々とした日々を過ごした。

「被災地に行ったことで、現地の人たちと知り合ったんですよね。顔と名前が一致している。そしたら、一回ボランティアに行ってお疲れ様でした、なんてことは出来なかったです」

東京に戻ってから2週間後には、再度被災地に足を運んでいた。

東日本大震災の被災者に対して自分ができることをする、それがインターンシップ先の社長への恩返しに繋がる、そう信じてボランティア活動を続けた。いわば、被災地の方々に対する恩送りだ。

ボランティアを続ける中で、被災地のために経済面でも力になりたいという想いが強くなり、移住を決意。

「雇用を作りたいし、地元の素材を生かした産業を作りたい」

他の地域で地元の海産物を使った石鹸があることを知った。女川にも日本有数の漁港がある。そして石鹸であれば、地元の若い女性も興味を持ってくれるため、それが雇用に繋がり若い世代が地元に残ってくれる。そうした想いが起点となり、石鹸作りの教室に通い、地域素材を使った石鹸作りを行う事になった。

縁もゆかりもなかった女川と出会い、移住、会社設立まで行った厨さん。

厨さんのこうした生き方の根底にある価値観とはなんなのか。

 

自分で自分を信用できるか

バックパッカーで世界を回った経験をもつ厨さん。

「分かったことは、人間やらなきゃいけないことなんてないということでした。日本でNGとされていることも、もはやローカルルール。海外ではNGとされてないこともあるんですよね。それに気づいた時に、自分の中でやらねばならぬ事が減りました。その上で、大切にしたいと思ったのは、後から生まれてくる人たちのために自分ができることをする、ということでした」

厨さんが、ボランティアに行き続けたことも、移住し会社を設立したことも、これから生まれてくる人たちのために自分ができる事をやろうと決めていたから。

「あの時に、再びボランティアに行かなかったら、自分で自分を信用できなくなる。そしたら、自分の子供に対して”困っている人がいたら助けなさい”なんて、言えないじゃないですか」

厨さんの最も根底にある価値観は、”自分で自分を信用できるか”である。

 

ただただ、真っ直ぐに

そんな厨さんからこの話を伺った半年後。KURIYAの運営拠点は厨さんの地元・福岡に移すことを決めた。

「拠点を移すのは”これ”というひとつの理由じゃないんです。女川のことを想えば想うほど『じゃあ自分の地元は?』というのもある。ただ、母親もだいぶ年を重ねてますし」

東日本大震災から十数年経った女川は、街も人も元の状態を取り戻しつつある。そんな女川の”今”と、自分の”今”に真っ直ぐに向き合い、厨さんが出した結論。

自然体に”今”を捉え、自分が正しいと思う事に対し、清らかに生きている方だと感じた。そんな厨さんが作っている石鹸は、見た目や香りだけが良いだけでなく、人に優しく自然的な石鹸なのだと思う。

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