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自信と覚悟<br> -美を追求した手織りのネクタイ -

自信と覚悟
-美を追求した手織りのネクタイ -

京都織物300年の歴史を持つ丹後エリアで、1936年に創業されたクスカ。最盛期1973年は約1000万反の着物を織っていたが、その後30万反を下回るまで減少。

衰退していた会社を32歳(2008年)の時に継いだ3代目社長の楠泰彦さんへのインタビューで感じたのは”自信と覚悟”。

そんな楠さんが立ち上げた「kuska fabric」という自社ブランドは、イタリアで行われる世界最大の展示会に出品されるまで大きくなった。

クスカの経営再建に大きく貢献したブランド「kuska fabric」を支える楠さんの自信の裏にあるものを感じてほしい。

 

自分がやりたいことをやっていたい

小学校で野球を始めた楠さんは、中学校から親元を離れて寮生活を行いながら、明徳義塾中学の野球部へ所属。高校もそのまま明徳義塾高校へ進学し、同じく野球を続けた。

「親元を離れる寂しさよりも、野球がしたいという思いの方が強かった」大学では建築系の学科に進み、建築系の会社へ就職。同じような時期に友人に誘われて始めたサーフィンにのめり込んだ。

「仕事をしながら、国内外のサーフトリップによく行ってました。波は、それぞれの場所とか気候やタイミングによって違うので、一期一会。毎回同じ波がない、それを楽しみにサーフィンに行ってました」

サーフィンのために世界中の海に行くという行為には、新しいことにチャレンジしていたいという楠さんの価値観が表れている。

 

思い切った決断が今につながる

29歳の時、雑誌で丹後でもサーフィンができる場所があることを知った楠さん。サーフィンをしに丹後へ戻った時、家業が廃業寸前であることを目の当たりにした。

「祖父と父親が繋いできた家業。自分を育ててくれたものが無くなるのはまずいなと思いました。ちょうど30歳で自分のアイデンティティについて考えていた時期でもあり、家業を継ごうと思いました」

そうしてクスカへ入社した楠さんは、丹後織物組合で中国視察した時に、大量生産では中国の資本や人材に勝てないことを実感した。

「すぐに大量生産の時に使っていた機械は処分し、オリジナルの手織り機を作りました。手織りの良さである商品の膨らみや美しさと、機械の効率性の両方を併せ持った手織りの機を自分で作ったんです」楠さんが作り上げた手織りによるブランド「kuska fabric」は、2017年にはイタリアで行われている世界最大の展示会に出品。それがきっかけで、海外のロイヤルワラントのブランドとの取引も始まるなど、その美しさが高く評価されるに至った。

「サーフィンをやっていると自然と一体になる。自然に寄り添い、一緒に生きる感覚。大量生産とは全く別の世界なんです。サーフィンをやっていたので、人間らしさという感覚が強くなったと思います」

「kuska fabric」は、楠さんが20代に培った価値観が詰まったブランドなのだ。


ゴールは置かない

家業を継いだ当時は、今の状態は全く予想してなかったという楠さんから感じるのは強い自信。

「丹後織物も300年続いていて、着物の技術がベースにあるし、そこは自信がある。今は14人の職人がいるが、それぞれの職人がハイクオリティ。レベルの高い職人がいるのは産地の強みだと思う」

300年の伝統を支えた技術は作るものが変わっても、その価値は変わらない。「織物は、たて糸とよこ糸の組み合わせを自分たちで設計し織っていく。実際に織ってみた時に、自分たちが求めた通りのモノ、もしくはそれ以上に美しいモノができた時の満足感がたまらない。だから、ゴールは決めていません」

楠さんの美しいモノづくりへの探究心は、まだまだ高まっている。

「自分達でブランドのステージを上げ続けていかないといけない。それが働いてくれている職人さんや社員さん、それから地場産業、すなわち地域のためになると思うんです」「kuska fabric」のネクタイの織り目をルーペで覗いた時に、その織り目の細かさと組み合わせが魅せる美しさに、強い感動を覚えた。衰退しつつあった家業を継いだ楠さんの自信は、300年の技術に裏打ちされるものだったのだろう。そして、その技術と家業を後世に残していくという覚悟が、今の「kuska fabric」というブランドを創り上げたのだと思う。

「kuska fabric」のネクタイから、その質感や織り目の美しさと楠さんの想いを体感してみてほしい。