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信念の根底にある愛情<br> - 国産小麦100%の素麺 -

奈良県の東部に位置し、古くから林業が盛んな東吉野村。その東吉野村で1984年に創業された坂利製麺所は、主原料として国産小麦を使用している食品メーカー。

創業者である坂口良子さん、そして息子で代表者でもある坂口利勝さんには、創業当時から、ずっと大切にしている揺るぎない想いがある。

社会の風潮や業界の慣習に流されることなく、食の本質を見据え続けてきた坂利製麺所/坂口さんのストーリーを伝えたい。

 

地域の人たちの暮らしを支えたい

坂口家は元々、東吉野に山を持ち林業に携わりながら、山仕事をする地域の人たちの暮らしを支えていた。

「冬場は雪が降るので、山仕事が出来なくなります。そうすると、地域の人たちは冬の間は収入を得ることが出来なくなる。そうすると安定収入を求める人たちが東吉野を離れていくため、過疎化が進んでいました」その状況をどうにかしたいと考えていたのが、創業者である坂口良子さんだ。

「母が素麺の作り方を習いに行っていた時に、ニュース番組から『なぜ素麺を習っているのか』というインタビューを受けたんです。その時に母が『素麺作りは冬の仕事だから、東吉野の人たちの冬の間の仕事に出来ないかなと思って』と答えたんです」

その映像が放送され、それを見た東吉野の人たちの共感を得たこともあり、坂利製麺所は創業されたのだ。

 

 

ブレずに信念を貫く

最初は教えられた通りに、原材料を組合経由で購入して素麺を作っていた。

「創業初年度に『油が安いから買っておいたら』と勧められたので多めに買ったら、生産が終わった時に余ったんです。なので、自宅で料理するのに使ったんですが、全く美味しくなかったんです」素麺は茹でた後に水洗いをするので油は洗い流されるという理由から、洗い流さないと使えないような油が原材料として使われていたのだ。

「その時、母は『自分の子供達に、自信を持って、安心して食べさせられるモノを作りたい』と考え、原材料を全て見直すことにしました」

収穫後に農薬を散布している懸念のある海外産の小麦ではなく、国産小麦を100%活用することにしたのも、そうした想いがあったからだ。

「当時は、コスト効率が良い海外産の小麦を使うのが一般的でした。だから原価が高く、コスト効率もよくない国産小麦だけを使っている母は、周囲の人から『材木が本業だから、素麺は趣味でやってるんだろう』と言われたりしました」

当時、組合は海外産の小麦を取り扱っていたため国産小麦の仕入れルートを自社で開拓することにした。「大量生産、大量消費の時代でしたから、ほとんどの人は原材料なんて気にしてなかったので苦労しました。だけど、生協さんが気に入ってくれ、国産小麦の仕入れ先も紹介してくれたんです」

原材料の仕入れ先も開拓でき、生協経由で、坂利製麺所の素麺は全国に流通したのだ。

 

根底にある人への愛情

創業時からずっと、正しいと信じることを続けてきた坂利製麺所。今もその価値観は揺るがない。

「手延べ素麺の業界では、細い素麺を作れることが技術的にすごいと言われている。すごい技術だから、希少性が高い。だから、細い素麺ほど販売価格が高い。だけど、細い素麺を作れる技術を持っていること、と美味しい素麺が作れることはイコールじゃないですよね。うちは、食べた時に、なんの理屈も感じずに美味しいと感じる細さで作っている」

坂利製麺所は、食の本質である”安全と美味しさ”を追究している。

なぜ、昭和の時代の社会の風潮や業界の慣習に迎合することなく、自分たちが思う本質をブラさなかったのか。「愛情を大切にしているからだと思います。僕が大学時代、家から往復3時間かかるので一人暮らしをしようとしたんです。そしたら母が『家賃を渡すか、家賃と同じくらいのお小遣いを渡すか、どっちが良い?』と聞かれ、お小遣いを取りました。当時、母は、食事の管理をしてあげられるから、実家から通って欲しいと思っていたようです」

幼い頃からずっと、食を通じた母の”愛情”に触れ続けた坂口さんにとっても、愛情を大切にすることは当たり前の価値観なのだ。

周りから何と言われようと、どんな逆境であろうと、自分たちが信じる正義を貫き続けてきている坂利製麺所。決してブレなかったのは、芯の強さとその根底にある人への愛情の深さだと感じた。