隅田川に接し、下町の風情が残る東京都荒川区。その荒川区に本社があるトネ製作所は、金属加工の技術を有するメーカー。
2代目社長の利根通さんは、これまでBtoBのビジネスで培ってきた金属加工技術を活かし、BtoC向け商品として、卵の白身と黄身が綺麗に混ざる「ときここち」を開発した。
純粋な感情と興味でモノづくりをしているトネ製作所/利根さんのストーリーを伝えたい。
探究心がすべての原動力
トネ製作所は、1961年に創業された。
「創業者である父は、1955年(20歳)の時に『このまま終わりたくない』と思い、五百円札と歯磨き粉を握りしめて、実家を出たようです。そして東京で金属加工の会社に就職しました」
その会社に6年間勤めた後、トネ製作所を創業した。そこに1980年、入社をしたのが利根さんだった。
「高度経済成長が終わり、大量生産から少量多品種生産への転換期でした。その変化へ対応するためには、コンピューター制御できる機械の導入が必要。だけど、当時は誰もパソコンすら触れなかった。ただ、ちょうど僕が高校の情報科でパソコンを勉強していたので、父から入社するよう頼まれたんです」
会社で唯一、導入した機械を動かすことができた利根さんは、無我夢中で仕事に取り組んだ。そんな利根さんは、根っからのモノづくり好きだ。「小学生の頃、ラジカセやビデオレコーダーを分解して、中がどうなっているのかを調べたりしてました。例えば、どういう仕組みで、ビデオテープを差し込むとテープが自動で引き込まれるのかを知りたかったんですよね」
好奇心や探究心が強い利根さんは、当時それを見ているだけで、あっという間に時間が経ったという。
昔から変わらない”らしさ”
どれだけ年齢を重ねても、利根さんらしさは昔と全く変わらない。
「自分たちの金属加工技術は新幹線の車内でも使われています。新幹線に乗った時に目新しいものがあると『どんな素材なのか?』とか『どうなっているのか?』が気になりますね」
そして、今も変わらないその好奇心と探究心が「ときここち」の開発につながった。
「きっかけは卵の白身が嫌いな妻から『真黄色の卵焼きを食べてみたい。金属加工の技術で何とかできない?』と言われたことでした」
新しいチャレンジでもあり、持ち前の探究心に火がつき、すぐに取り組みを始めた。
「最初は、厚み1mmくらいで幅が1cm、長さが15cmくらいのステンレスの板で、卵を溶いたんです。すると、先端が尖っているので白身が切れて、黄身と綺麗に混ざったんです」
ここから商品開発を続け、今の「ときここち」が完成した。
お客さまに届く一本を丁寧に作る
3万本以上売れている「ときここち」だが、今も利根さんが自ら作っている。
「職人による手仕事を大切にしたいので、今も一本一本、自分で作ってます。作る方はたくさん作るのだけど、購入してくれたお客さまに届くものは、その中の一本。どの一本が届いても満足してもらえるようにという心構えで作っています」これまで一本もクレームになっていないのは、こうした利根さんのこだわりがあるからだと感じた。現に、購入者から多くの感謝の手紙も届いている。
「65歳になって社長を息子に引き継いだ後も、どうしたら、より良いモノをより早く作れるようになるのか、などを考えながら、ときここちを作っていたい」
モノづくりが好きだという純粋な想いと、好奇心や探究心が強い利根さんらしい一言だと感じた。
工場見学に行った際、終始笑顔で気遣いながら話をしてくれた利根さん。しかし「ときここち」を仕上げる時の顔は、紛れもなく本気の職人の顔だった。