ブレずに進み続ける<br> - 挑戦の歴史が生んだ鉄フライパン -

ブレずに進み続ける
- 挑戦の歴史が生んだ鉄フライパン -

大阪平野の中部に位置する大阪府八尾市で、1951年に創業された藤田金属は、鉄やアルミニウム、スチール製の家庭向け商品を製造販売している。4代目社長の藤田盛一郎さんは、時流を捉え、目の前の状況を打破し続けてきた。毎月赤字続きだった会社が、海外の展示会へ出展したり、2つのデザイン賞を受賞するような会社になった背景には、藤田さんのブレない決意とそれを支えた藤田金属の価値観があった。 

会社を「大きくしたい」から「残したい」へ

藤田さんは大学を卒業後した2003年に新卒で藤田金属へ入社。

「幼い頃からずっと、創業者である祖父から『後を継いで欲しい』と言われてきたので、それが当たり前だと思ってました。だから、抵抗なく入社しましたね」

自分が会社を継いだら、もっと会社を大きくしたいと思っていた藤田さんだったが、入社後すぐに、その難しさに気づかされることになる。

「なんじゃこの業界・・・と思いました。当時は、量販店やホームセンターに営業していたのですが、値段の話ばかりで買い叩かれるし、新しい商品が売れたと思ったら、半年後には自社よりも安い類似商品が出てくる」

そうした業界の状況もあり、藤田さんが入社してからも毎月赤字が続いている状況だった。「祖父が残してくれた会社を潰すわけにはいかなかった。入社7年目くらいからは、会社を大きくすることを考えるのではなく、会社を存続させることを考えるようになりました」

そう考えた藤田さんは、まずは新たな販路の開拓に着手したのだった。

 

”やってみる”が培ってきた技術力

藤田さんは、アルミ製のダンブラーや樹脂の取手がついた鉄フライパンを持って、ギフトショーという東京で行われる展示会へ参加した。

「想像以上の反響がありました。商品として持って行ったアルミ製タンブラーも樹脂の取手の鉄フライパンも、日本で他に作っている会社がなかったことが珍しかったんです。新たな販路の開拓は大成功でした」

藤田金属がユニークなモノづくりができる理由の一つに、これまで大切にしてきた価値観がある。

「塗装以外の全ての工程を内製化しています。通常であれば、金型作りは外注したりする会社が多いですが、うちは金型も自社で作っていますし、溶接も自社でやります。また、他社から『こういうモノを作れないか』という相談がきた時は、”まずやってみる”ということを決めています」藤田金属では、ほぼ全ての工程を内製化しているため、他社からの相談に対して、”まずやってみる”ためのコストを最小化できる。そして、他社からの相談は難易度が高いことが多いため、挑戦すること自体が自社の技術力の蓄積に繋がる

「祖父の時から内製化は進んでおり、先代である父からは『他社からの相談は、まずやってみろ』と言われていました」

藤田金属のユニークなモノづくりを支える技術力は、こうした価値観によって長い年月の中で培ってきたものなのだ。

 

想いはブラさず、前に進み続ける

新たな販路の開拓が軌道に乗ってきた後、藤田さんは自社ブランドの開発を進める。

「販路が広がると、次は自社商品の値崩れが始まった。だから、もっと付加価値があるものを作らないとダメだと思い、フライパン物語というカスタマイズできる商品ブランドを作りました。そしたら値崩れがなくなりました」

フライパン物語のヒット後も、デザイン性が足りないという点に着目し、初めて外部のデザイナーを入れて、「10(JIU)」という新ブランドを立ち上げた。また飲食店などの法人開拓も、当時の事業上の状況を変えるために行った。

「”赤字を何とかしなければならない会社”から”周囲が求めてくれる会社”になることが出来ました。その理由は”最高の商品を作る”ということをブラさなかったから。」

そのために、徹底的にお客様からの意見に耳を傾けているという。

「鉄製フライパンは、ハードテンパー加工という処理を行い、お客様が購入後にシーズニングする必要がない状態にしています。その理由は、IHの普及などにより、高温で熱し続けるという環境が減っているというお客様の声に気づいたからです。」

藤田金属の工場はカジュアルなオシャレさがある外観とは裏腹に、工場の中には、懐かしさを感じる昔ながらの町工場感が強く残っていた。そんな工場で作られているのは、”自己満足”な最高の商品ではなく、”お客様”にとっての最高の商品なのである。

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