
岡山県にある宝山窯は、最古の記録では室町時代の末期から続いている備前焼の名門。
代表の森敏彰さんは、自分のことだけでなく、備前焼業界のことを考えながらモノづくりを行っている。
そこには森さんの、常識に捉われず合理的に考えようとする価値観や、人との関わりを大切にしたいという想いが詰まっていた。
常識に従うのではなく、本当に必要なことをやる
森さんは、岡山藩から公認された「備前焼窯元六姓」の直系の窯元に生まれた。
「小さい時から将来の選択肢の一つに焼き物がありました。しかし、自分が中学生の時くらいから備前焼が売れなくなっていました」
そして大学進学前に、窯元の長男として継ぐことを考えた時に、今の備前焼に何が足りないのかを考えたという。
「まずは備前焼を色んな人に知ってもらうことが大切だと思ったんです。だから、分かりやすく伝えることを学ぶ為に、大学では学芸員の勉強ができ、教員の資格が取れる学部へ進学しました。焼き物は一生物だから、作ることは後からでも学べると思ったんですよね」
大学で伝えるための技術を専門的に学んだことにより、備前焼の歴史や焼き方などをより分かりやすく伝えることができるようになった。
「子供達向けに窯元体験をやったり、工芸体験を希望する人を受け入れたりして、多くの人に備前焼を知ってもらうための取り組みをしています。最初は周りの人たちから『そういうことはプロの窯元がやることではない』と言われたりしましたが」森さんは、常に備前焼業界のことを考え、本当に必要だと思うことを考え、実行している。
「備前焼ではよくある師弟制度も行っていません。弟子をやっている以上、師匠は越えられない。それは長い目で見ると業界が衰退することに繋がると思っています。だから宝山窯では、僕が教えられることは教えながら、独立も含め早く色んな経験ができるよう支援をしています」
その想いの根底には森さんの原体験があった。
合理を超えた気概やプライド
森さんは、30歳の時にアメリカを横断しながら、所々で現地の人たちに焼き物を説明したり、その場で作って見せたりした経験がある。
「もう5年早くアメリカ横断を経験していたら、もっと色んなことが早く出来ていたと思います。だから自分より若い世代の人たちには、できるだけ早い内に色々と経験させてあげたい」
そうした原体験があるからこそ、師弟制度ではなく、今のスタイルを取っているのだ。
「もしかすると自分の窯元だけで考えると、今のスタイルはマイナスな事もあるかもしれません。ただ、働きにきてくれている人や備前焼の業界全体で見ると絶対にプラスになると思っています」
森さんは、なぜここまで業界のことを想うことができるのか。
「ずっと備前焼をやってきた家に生まれたという気概やプライドがあるんです」
あらゆることを合理的に考える森さんだが、この発言だけは合理を超えた強い意志のようなものを感じた。
楽しさや笑顔が人を惹きつける
そんな森さんが率いる宝山窯のモノづくりにおけるこだわりは”人”だ。
「使ってくれる人のことを考えながら、モノづくりをしています。例えば以前、お店に来たおばあさんから『指が不自由だからマグカップの取っ手をうまく持てない』と言われたんです。本来、マグカップの取っ手は小さい方がデザイン的に良いのですが、取っ手を大きくして湯呑みのように持てるマグカップを作りました」
なぜこうしたこだわりを大切にしているのか。
「作りながら、使う人の顔を思い浮かべるのが楽しいんですよね。モノづくりは孤独だから、どうしたらより良いモノづくりができるかを考えた結果なのかもしれません」
インタビュー中、森さんは、”人との関わり”の話をずっと楽しそうに話していたのが印象的だった。
「アメリカ横断した時、現地で焼き物を作っていると、自然と周りに現地の人が集まってきて、楽器を弾き始めたり、楽しそうに会話をし始めるんです。結局、楽しい場所や笑顔がある場所に人は集まってくるんですよね」
今も森さんの周りには、国内外含め多くの人たちが集まってきている。
それはきっと、人を想うモノづくりを楽しそうに体現している宝山窯/森さんがいるからだろう。