正しさという信念<br> - 新しさと伝統が生み出す茶筒 -

正しさという信念
- 新しさと伝統が生み出す茶筒 -

秋田県の伝統工芸である樺細工は武士の内職として始まり、200年以上の歴史を持つ。山桜の樹皮を使った樺細工は、密封性が良く湿気を遮断する。その特性を活かし、樺細工の茶筒などの製造と販売を行っている木元桜皮工芸。創業家の一人である木元貴之さんは、”くそ真面目”な経営者だ。そんな木元さんが大切にしていることとは。 

人も素材も適材適所

木元さんの祖父が1970年に秋田県で木元桜皮工芸を創業した。ただ祖父は、元々、樺細工の職人ではなかったという。

「祖父が樺細工をやろうと思った時、近くの職人さんに教えを乞いに行ったら『窓の外からみてるだけならいいよ。』と言われたそうです。普通だったら、そこで諦めますよね」

努力を重ねながら技術を身につけていったという祖父は、まさに「見て学ぶ」を体現した。「1から会社をつくり、従業員も雇えるくらい会社を大きくした祖父は、本当に努力家だったと思います」

そんな木元桜皮工芸のモノづくりにおけるこだわりの一つは適材適所。

「従業員も1人1人得意なことが違う。いくつかの製造工程があるが、細かい作業が得意な人には細かさが活きる工程を任せ、素早い作業が得意な人には、スピードが求められる工程を任せてます」

樺細工では珍しい”量産化”を行っている木元桜皮工芸ならではの仕事の進め方である。

「人だけではなく素材も適材適所だと思っています。私たちが扱っている素材は自然のもの。木目が均整な素材もあれば、均整ではない素材もある。均整ではない素材は、扱いづらくもあるのですが、自然の素材を無駄にしたくないので、商品の中で目につきづらい部分に活用するなど工夫して使っています」イキイキと自社のモノづくりについて語る木元さんだが、元々は家業を継ぐことに強く反発していた。

 

祖父への尊敬が心を動かした

木元さんは、小さい頃から仕事場へ遊びに行って過ごしていた。

「両親も働いていたので、ほぼ毎日学校が終わったら仕事場へ行ってました。そういう意味では、樺細工の存在は当たり前になってましたね。」

当たり前の存在である家業を継ぐように、ずっと言われて育ってきた。

「『自分の人生なのに、なぜ人に決められなければならないのか?』という感情が強く、進路の会話が多くなる高校生の頃は特に反発してましたね」

木元さんは、大学進学を機に秋田の実家を出て、仙台で一人暮らしを始めた。

「一人暮らしをするようになって、1から自分で全てをやることの大変さを実感しました。その時、家業を1人で1から立ち上げた祖父への尊敬の気持ちが強くなりました」そして、祖父が逆境の中でも努力して作り上げた木元桜皮工芸を継ぐために新卒で入社することを決めた。

そんな木元さんだが、目指しているのは”自社だけが良ければ良い”という世界観ではない。

 

正しさを何よりも大切にする

木元さんは、幼少期からご両親に「正しいことをする」ように言われて育ってきた。

「昔から周りの人から『クソ真面目』って言われます。だから思春期だった高校時代も校則はきちんと守ってましたね。あとは、努力しなかったり何もせずに過ごしていると、悪いことしている気分になります」

小学校から続けてきたバスケットボールを通じて努力の大切さを学んだ。

「センスはなかったんです。だから努力を続け、高校時代はキャプテンでレギュラーでした。正しいことをやっている人が報われないという世界観は好きではないですね。それを自分で証明するために、努力し続けたのだと思います」- 木元さんが木元桜皮工芸で、目指していること -

「木元桜皮工芸だけが一人勝ちすれば良いと思っていません。樺細工は、これまで産業を支えてくれた人たちが残してくれたもので、自分たちだけのものではない。だから、自分たちだけがよければ良いのではなく、業界全体として更に良くしていきたいんです」

多くの人が築き上げてきた樺細工に携わる以上、「自分たちだけがよければ良い」というのは木元さんにとって”正しくないこと”なのだ。

実際に木元さんとお会いして感じた”正しさ”は、堅物というニュアンスではなく、ご自身の中にある信念のようなニュアンスの”正しさ”。そんな木元さんの想いがこもった商品は、どこか凛とした雰囲気を併せもつモノだった。

伝統の中に先端技術を取り入れた木元桜皮工芸の商品から木元さんの想いを感じてみてほしい。

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