美濃焼で有名な岐阜県の美濃地方にある多治見市には、焼き物に携わる多くの会社や人が集まっている。その中の1社である七窯社は、美濃焼のタイルを利用し、アクセサリーの製造と販売を行なっている。バブル崩壊後から厳しい経営環境の中にあるタイル業界だが、真っ直ぐにタイルの良さを伝え続けている七窯社の3代目社長の鈴木耕二さん。今の七窯社のモノづくりの在り方、に至るまでには、鈴木さんの経営者としての葛藤があった。
幸せの輪を広げていきたい
「七窯社はアクセサリーのブランドではなくタイルのブランド」
鈴木さんは、そうキッパリと言い切る。
鈴木さんの祖父が1949年に創業したのが現七窯社。元々はタイルの卸売がメインだったが、原材料を仕入れ、タイルの製造販売も手がけるようになった。しかしバブル崩壊後、売上の半分を占めていた取引先が倒産したこともあり、会社の経営も厳しい状態だった。鈴木さんの父である当時の社長は、自分が祖父(初代社長)のために建てた家を売ってまで会社の資金繰りを行なった。
「当時の父は『ここまでしたのだから絶対に会社は潰さない』と言っていたんです。だからこそ、父が急逝した時に、経営が厳しいのは分かっていたが、自分が何とかしなければと思い、会社を継ぐことを決めました。だけど、営業努力が報われない業界。その中で自分の役割は、タイルを利用した新しいモノづくりを行うことでした」
父の想いを胸に、経営を立て直すべく、取引先へ営業を行い続ける中で、鈴木さんが体感したこと。試行錯誤の結果、タイルを利用したアクセサリーを作り、エンドユーザーである一般の方へ直接販売することを決めた。これがヒットし、今の七窯社の経営を支えている。
「タイルの本質的な価値を、エンドユーザーへ正しく伝えていきたい。そうすることで、タイル全体の需要を、さらに拡大させていき、結果として自分に関わってくれる全ての人たちに幸せの輪を広げていきたい」
多治見にいるデザイナーの方々を巻き込み、これまでなかった”タイルを利用したアクセサリー”。ただあくまでも、鈴木さんにとっては、タイルの価値を伝え、幸せの輪を広げるための手段である。
七窯社のこうしたモノづくりの在り方が確立された背景には、鈴木さんの経営に対する葛藤があった。
自分は何のために働いているのか
鈴木さんが経営を継いで3年ほど経過した時に、リーマンショックが起きた。
「自分たちの経営も苦しく、お取引先に原料の値上げをお願いしたが『値上げするのであれば同業他社から仕入れる』と断られました。自分を犠牲にしてでも、お客様のために頑張ってきた。お客様のためだけに頑張れば良いと思っていたが、それは自分の怠慢だったと思いました。」
心のどこかで、取引先は原材料の値上げを承諾してくれると思っていた鈴木さんだったが、この出来事が、それまでの働き方を見直すきっかけとなった。 「自分はどういう時にやる気が出るのか、そもそも何のために働いているのかを考えました」
その時に思い返したのは創業者である祖父や2代目社長である父の姿だった。
「正義感が強く”人のため”を大切にしていた父や、騙されやすいが人から慕われていた祖父の後ろ姿をずっと見てきた。いかに儲けるかが大切だと思っていたが、それ以上に大切な事に気づいた」
- 自分に関わってくれる全ての人に幸せになってほしい -
そのために自分は働く。そう決意した。「そのためには、お客様だけでなく、仕入れ先の企業や自社の社員、自分の家族、そして自分自身、全ての人にとって良い状態を作らなければならない。そして、自分にはタイルしかない。文字通り”死ぬ気でやりきろう”、そうと思いました。』
結果的に経営は軌道に乗り、今の七窯社がある。
「成功体験や、これが七窯社らしさなんだということに、無理にこだわらなくて良いと思っている。あくまでも自社はプラットフォームにすぎない。新しいデザイナーが加わってくれたら、それによりまた新しい世代のファンができます」
死に物狂いで経営の危機を乗り切った鈴木さんは今、清々しい表情でそう言い切る。
”三方よし”ではなく”万方よし”を目指す鈴木さんの価値観が、今の七窯社のモノづくりに強く現れているのだろう。