新潟県の中央部に位置し、鍛冶を中心とした金属加工業が盛んな三条市。その三条市で、1960年に創業したテーエム。
3代目社長である渡辺竜海さんは、自社の”黒染め”の技術を生かして自社ブランド「 96【KURO】」を立ち上げた。その背景には、家業を継いでからの苦労やそこから生まれた想いがあった。
自分を出すようなことはしてこなかった
テーエムは渡辺さんの祖父が創業し、父が2代目社長となったが、渡辺さん自身は継ぐつもりはなかった。
「子供の頃から家業である黒染めを見てましたが、地味だと感じ、魅力的に思えなかったんですよね。だから、もっと自分に合う仕事があるんじゃないかと思ってました」専門学校を卒業したあとは、自分が本当にやりたい仕事を探すために関東に引っ越した。
「数年関東にいましたが、結局、自分のやりたい仕事を見つけられませんでした」
元々、性格的に煮え切らないタイプだったという渡辺さん。
「幼少期から何をするにも父親の目を気にするタイプでした。怒られないよう、あえて自分を出すようなことはせず、いつしか当たり障りのないことをやるようになってました」
そんな渡辺さんが、技術的にも難しいと言われる”ステンレスの黒染め技術”を実現し、自社ブランド「96【KURO】」を立ち上げることを決意した背景には、何があったのか。
本当に相手の立場に立ちきれているのか
渡辺さんが黒染めの仕事を始めることになったのは、ふとした父の一言がきっかけだった。
「23歳になった時、当時社長だった父から『お前は、この先どうするんだ?』と聞かれたんです。それを機に、父に頭を下げて黒染めの仕事をさせてもらうことにしました。当時は家業を継げと言われたのだと思ってましたが、後から聞くと全くそんなつもりではなかったようでしたが」体を動かすのは好きだったので、現場仕事もまったく苦にならなかったという。しかし、役職がつき、後輩を指導する立場になった時に、挫折を経験した。
「後輩をどう指導したら良いのか分からなくなったんです。他の会社で修行して入社したわけでもないので、仕事に対する経験不足もありましたが、自分のコミュニケーションスタイルの至らなさをすごく感じました」
この経験から、人への向き合い方を見直したという。
「社員のことを考えていると思っていたのですが、それでも”本当に相手の立場に立ちきれているのか”と問うた時に、まだまだ出来ることがあると思いました。自分の中の”べき論”でコミュニケーションしてしまっていたんですよね」
そのような出来事を乗り越えテーエムに入社して8年経った時、父親に認められ、そして社員の方々にも望まれ、3代目の社長となった。
苦労を乗り越え、努力を重ねて得たもの
渡辺さんは、黒染めの技術や価値を知れば知るほど、黒染めのことをより多くの人に知ってもらいたいと強く思うようになった。
「黒染めは、直接モノを黒くする加工技術なんですね。つまり塗装ではないので剥がれ落ちるものがなく、口に入れても人体影響がない。加工処理で使っている原料も、RoHS対応したものなので環境にも優しい。にも関わらず、”黒染め”が、世の中の人にほとんど知られていないのが悔しい」そんな想いから、黒染めの技術を使って、世の中の人たちが身近に使ってもらえるモノを作りたいと考えた。
「食器から始めたのですが、素材であるステンレスを黒染めするのは、技術的に非常に難しかった。多くの会社が挑戦しては諦めてきましたが、必ず実現できる技術なのは分かってました。結果的に、1年半もの間、試行錯誤を繰り返して、ステンレスの黒染めに成功しました」
多くの苦労や努力の上に、ようやく出来た黒染めのブランドが「96【KURO】」。
そこにはもう、渡辺さんの”昔の煮え切らない姿”はなかった。
- そんな渡辺さんが、今改めて思うこと -
「社長になって15年経ちますが、社員のことばかり考えてます。昔から感謝の想いはありましたが、今はその質が違いますね。以前は漠然と”会社を選んでくれてありがとう”でしたが、今は社員一人ひとりの顔を思い浮かべながら、相手の立場にたち、自分や会社がどうあるべきかを考えています」インタビュー中、何度も「代表(社長)に”させてもらった”」という表現を使っていた渡辺さん。そうした言葉の端々からも、決してうわべだけで言っているのではないことを強く感じた。
渡辺さんの社員に対する感謝の気持ちと自分たちの技術に対する誇りが詰まった「96【KURO】」は、美しい黒さの奥から凛とした雰囲気を醸し出している。「96【KURO】」を通じて、渡辺さん率いるテーエムの想いと黒染めの技術を感じてほしい。