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新しさの追求と地域への想い<br> - 現代になじむ備前焼 -

新しさの追求と地域への想い
- 現代になじむ備前焼 -

岡山県の南東部に位置する備前市は「日本六古窯」の中で最も古い焼き物でもある備前焼が有名。

その備前市で2014年に設立された出(いづる)製陶。創業者で兄弟でもある山本周作さん・領作さんには、地元や備前焼に対する強い想いがあり、自社ブランドである「NUE(ヌー)」を立ち上げた。

ブランド立ち上げのストーリーを通じて、二人の”本質への真っ直ぐさ”や根底にある想いを感じてみてほしい。

 

作っている自分たちが使いたいと思えなかった

山本さん兄弟は、陶芸家で人間国宝の祖父・山本陶秀さん。そして父の山本出さんも同じく陶芸家で、岡山県重要無形文化財保持者である。まさに、備前焼の陶芸家のサラブレッドとして生まれた二人だったが、元々は備前焼や陶芸には全く興味はなかったという。

「小学校の時に、遊びで備前焼の原料となる土を触っていたくらいで、陶芸に携わったことはありませんでした。高校卒業後は家業を継ぐわけでもなく、東京に出てみたいと思い、東京の大学に進学したんです」

周作さんは経済学部へ、領作さんは美術系の学部へ、それぞれ進学した。周作さんは卒業後も、しばらく東京にいたが、ふとしたきっかけで陶芸の道に進むことになる。

「社会人になってしばらくした時、父がフランスで行っていた個展の手伝いに呼ばれて行ったんです。その時、父に誘われたのがきっかけで陶芸の道に進みました」そんな周作さんに「実際にモノを作るのは面白いよ」と誘われた領作さんも、周作さんの2年後に陶芸の仕事についた。その後、陶芸作家として賞を受賞するなど、その頭角を表してきた二人だったが、徐々に違和感が強くなってきたという。

「作家として自分たちの名前が全面に出ることに興味を持てなかったんです。そして何より、作ってる自分たちが、それまでの備前焼を”使いたい”と思えなかったんですよね」

自分たちの備前焼を追究するため、二人は出製陶を設立し、後に「NUE」というブランドを立ち上げることになった。

 

考え抜いた先にあった備前焼の本質

ブランドの立ち上げにあたり、二人は改めて”備前焼とは何か”について考えたという。

「備前焼って、そもそもは”備前で採れる土を焼いたもの”だと思ったんです。それを作って広めるということを大切にしたいなと」

今の備前焼は「これまでの歴史の中で残り続けた製法や形状、色合いであり、一つの結果やあり方にすぎない」ということ。「いわゆる備前焼は、今の製法の中では非常に洗練されています。だけど、焼き物の色が茶色だけだと、それ以外の色が欲しいというお客さまに選んで頂けない。だから、備前焼で新しい表現ができないか、をずっと試行錯誤していました」

そんな時、偶然、二人は備前市に鉱山があることを知った。

「知った後、すぐに飛んで行きました。色々調べたり聞いたりすると、すごく純度の高い良い土が採れることが分かったんです。知れば知るほど、おもしろかった」

そして、その鉱山で採れる”備前の土”を使った二人ならではの備前焼を作り始めた。それが自社ブランド「NUE(ヌー)」の始まりである「日常生活で当たり前に使ってもらえる備前焼を作りたい」

IZURUのモノづくりのこだわりは、そこにあった。

 

地元も自分たちも、まだまだやれる

なぜ、著名な備前焼の陶芸家の一族として育った二人が、今の備前焼とは別のあり方を模索できたのか。

「小さい時から、親に備前焼や陶芸を強要されたことはありませんでした。だから先入観がないので、今の備前焼をフラットに見ることができたんだと思います」

- そんな二人が自分たちのモノづくりを通して実現したいこと -

「地元である備前に活気を取り戻したいんです。また地元の人たちに、地域の文化である備前焼に自信を持ってもらいたい。そのために、自分たちができることはまだまだある。そう思ってます」インタビュー中に、何度か”新しいモノ”や”備前焼の新しい主流”を作る、という話が出てきた。

しかし、それは単純に”新しいことをやること”自体が目的ではなく、備前焼をもっと使ってもらえるものにすることで”備前を盛り上げる”ことが目的なのだ。

そんな二人が作り上げた「NUE」を工房でみた時、ずっと見ていられるくらい綺麗な模様に思わず見惚れた。現在(いま)の生活になじむ、新たな備前焼のあり方を感じてみてほしい。