日本で初めてタオルが製造された大阪の泉州地域。その泉州地域で1907年から続いている老舗のタオルメーカーである神藤タオル。
東京で充実した大学生活を送っていた神藤貴志さん(現社長)は、祖父(前社長)から誘われ新卒で神藤タオルへ入社。
”本当に良いタオルとは何か”という問いに向き合い続ける神藤さんの価値観とは、どのようなものなのか。
こだわり続ける神藤タオル品質
神藤タオルが創業して間もない頃、日本のタオルはノーブランドで製造、販売されるのが一般的だった。そんな中、当時から神藤タオルはマルシンというブランド名で、品質管理や品質検査がしっかりと行われたタオルの製造と販売を行っていた。そのため、価格も高かったが、問屋さんからは「マルシンのタオルは良いタオルだ」と支持を得ていた。
その後、神藤さんの祖父の代になると、海外製品の輸入数が増えてきた。その影響で、経営が厳しい環境に陥った事もあったが、それでも品質を落とし製造原価を下げることは行わなかった。そのような中でも、経営が厳しかった当時の神藤タオルを守るために、祖父は個人資産を投じてまで会社の資金繰りを支えた。
「『品質を落とすな』と祖父からはよく言われてました」
祖父が体現してきた神藤タオルの品質へのこだわりは、現社長の神藤さんにもしっかりと受け継がれている。
世代を越えて実現された想い
タオル業界自体にブランド名をつけるのが一般的ではなかった時代に、マルシンという自社ブランド名をつけ、”良いタオル”を作る事にこだわり続けた神藤タオル。
一方、祖父の時代には、海外製品の台頭など、時代の変化の中で、OEM(相手先ブランド製造)がメインとなっていた。
「祖父は『新しいことをやるための投資は惜しむな』とよく言っていました」
しかし残念ながら、祖父の時代にはそれは実現できなかった。
神藤さんが社長になり3年目を迎えた時、神藤タオルの技術力を活かした自社ブランド商品の製造を決めた。
「うちの職人さんの技術や発想の凄さが世の中に伝わっていないのはもったいないなと思ったんですよね」
そして、職人の方々の発想と自由に研究開発できる職場環境によって、今の主力商品であるインナーパイルや2.5重ガーゼなど自社ブランド商品が誕生した。
神藤タオルのDNAとも言える自社ブランド開発へのこだわり。
神藤さんは、祖父の想いを受け継ぎ、世代を越えて、そのDNAを体現した。
「他界した祖父も喜んでくれていると嬉しいですね」
人の喜びの総量が自分の喜び
神藤さんが神藤タオルに入社するきっかけは、祖父から誘われたことだった。
「誘われた時は、正直あまり深く考えていなかったんですが、入社すると祖父が喜ぶと思ったんですよね」
神藤さんの意思決定の基準は、喜ぶ人が増えるかどうか。
「うちの商品で喜んでくれる人が増えるかどうかが大切。なので、うちの商品を買ってくださる人だけではなく、うちの商品を売ってくださる人も喜んでもらえるモノづくりがしたいんです」
そんな神藤さんが、向き合い続けると決めている問いがある。
ー 本当に良いタオルとは何か ー
マルシンブランドが良いタオルと言われていた理由は、品質管理や検査が十分に行われていなかった時代に、品質にこだわっていたこと。
今は品質検査などが行われるのは当たり前の時代。つまり、昔のようにやっているだけでは良いタオルとは言えない。
「時代によっても、人によっても、良いタオルって違うと思うんです。そして、その答えはお客様の中にしかないと思うので、お客様や取引先様の声を集め続けたいんです」
人の喜びのために生きる
「本当に自分というものがないんですよね」
インタビューの中で神藤さんが何度か口にした言葉。
ただ、決してそんなことはないと強く感じた。インタビューで伺った神藤さんのこれまでの意思決定の多くは、相手が喜ぶかどうか、が軸だった。人の喜びのために生きる、そんな類の言葉を神藤さんが明言しなかったからこそ、この印象がより深く残ったのだと思う。