
変える事と変えないコト
- 国産材で作る桐製品 -
100年以上の歴史を持つ桐匠根津は、小物やタンス、リフォームなど時代にモノづくりを行なってきた。四代目社長の根津さんは、家業が“本当に喜ばれる仕事”であることを認識し、不動産会社を辞めて家業に入った。高温多湿な日本に適した国産桐の価値を信じ、何を作るかは変えても「国産桐を活かす」という軸は揺るがない。
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つくり手のストーリーには、
さまざまなエッセンスが織り交ぜられています。
贈る相手のことを思いながら、
重なる部分に目を向けてみてください。
「なぜこのつくり手のものを選んだか」
「どのような理由で贈ろうか」を考えながら、
ストーリーをじっくり読むことで、きっと世界に一つだけの贈る
理由が見つかるはずです。
100年以上の歴史を持つ桐匠根津は、小物やタンス、リフォームなど時代にモノづくりを行なってきた。四代目社長の根津さんは、家業が“本当に喜ばれる仕事”であることを認識し、不動産会社を辞めて家業に入った。高温多湿な日本に適した国産桐の価値を信じ、何を作るかは変えても「国産桐を活かす」という軸は揺るがない。
北洋硝子の「津軽びいどろ」は、十数年前の苦境を乗り越え、今や国内外から注目される存在となった。青森の四季を色で表現するために、常務取締役の中川さんが長い年月をかけて妥協せず挑み続け、100色を超える美しい彩りを実現。その鮮烈な世界観は若い世代の「自分も作りたい」という思いも呼び起こし、未来への希望を紡いでいる。
しまんと百笑かんぱにの細木さんは、楽しいと思えることをとことんやりきってきた人。今は、昔ながらのサステナブルな食文化を大切にしながら、現代のライフスタイルにも寄り添う商品開発を続ける。その根底には、社員や原料提供者も含む「関わるすべての人が笑顔であってほしい」という願いがある。大量生産や無理な拡大をあえて避ける姿勢が社名「百笑」にも宿っている。
トネ製作所の利根さんは、子どもの頃から好奇心と探究心が旺盛で根っからのものづくり好き。妻の一言がきっかけとなり、その好奇心と探究心に火がつき、BtoBで培った金属加工の技術を活かしながら、BtoCの自社商品「ときここち」を開発。純粋な興味のまま挑戦を続ける一方で、一本一本を手仕事で仕上げる姿には、昔から変わらぬ“モノづくり好き”の魂が宿る。
アルチザンの長澤さんは、燕市の金属製品の技術と他地域の伝統技術の融合による新たな価値を生み出すために55歳で起業。その土台には、長い会社員生活でアグレッシブに仕事に向き合うことで培った信用がある。またどんなに経営が苦しい中でも、”燕”ブランドへの強いこだわりを持ち、「強い燕」の実現をするために前に進み続けてきた。
テーエムの渡辺さんは、黒染めと呼ばれる自社技術の価値を広めるために「 96【KURO】」を立ち上げた。難しいとされるステンレスの黒染め技術を1年半かけて確立した。また経営を行う上で「社員の立場に立ち、自分や会社がどうあるべきか」を常に考えている。過去の挫折経験から自分に向き合い、決めた経営ポリシーである。
匠工房の松田さんは、常に”新しさ”を実現するための努力をし続けてきた。結果的に、積み上げた技術と斬新なアイディアで琉球ガラスのパイオニア的な存在となった。そんな松田さんの根底には「出来ないことを出来るようになりたい」という想いがある。小中学校の時にやっていたスポーツでも、琉球ガラスの仕事でも、その想いと努力するスタンスは決して変わらない。
木元さんは”正しさ”を大切にしている。木元さんの”正しさ”とは堅物のようなニュアンスではなく、自分の中の信念のようなもの。その根底にあるのは、正しいことをやっている人が報われない世界観は嫌だという木元さんの価値観がある。そしてその価値観は「自社だけでなく業界全体が良くなるように」という言葉に表れている。
若林さんは成果へのこだわりが強い。大学時代、より厳しい環境である体育会を選択したのも、やるからには成果を出したいという想いが強いから。その根底には、親がお金を出してくれているという感謝の気持ちがある。家業を継いでから、難しい経営環境下だったため、変えたことは色々あるが、人への感謝の気持ちを持つことは、経営方針として絶対に変えないもの。
加藤さんはこだわりは、旗や暖簾という日本の文化やそれを支えてきた技術を知ってほしいというもの。”思いは必ず実現する”という信念のもと、自社ブランドの確立のため努力している。その背景には、小学校から社会人5年目までやってきたラグビーで得た”覚悟を持って努力をすることで得られる達成感がある”という学びがあった。